mab-blogのブログ

教育内容を中心としたブログです。たまにライフスタイルについての考えなんかも書きます。

【過去一番】仲間の大切さを知ったとき

今までの人生の中で自分は一匹狼でいることが多かった。友人はいたが、遊び仲間としての友人で、「何か一緒にことを成し遂げる」ような感じではなかった。

しかし、高3の最後の文化祭で仲間、同志の存在の大きさを初めて知ることになった。

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夏休みも含めて準備に追われていた当時。卒業を半年後に控えた文化祭で「演劇」をクラスで行うことになった。役者、大道具、小道具、演出、監督など役割が次々と決まり、演者としての出演が決定。台詞を覚えると同時に演技も初めての経験のため客観的に自分を見ることができないので、監督の生徒の指示に従うしかなかった。

 

特に大きな混乱もなく、話し合いを何度か重ね、ついに本番当日。教室を締め切って行われたため、猛暑の中での講演だったが、どの回もほぼ満員。他クラスも演劇をやっていたためどんな感じか気にしつつも、自分たちのことだけに集中した。

当時の文化祭は投票式で、来場者には最も良かったものを投票してもらい、後夜祭でそれが発表されるシステムだった。

狙うは学校一。いつしかクラスが団結し、演技にも裏方にも熱がこもって行った。回数を重ねるごとに演者たちの演技力も緊張感から解き放たれ向上し、最後の公演を終えた後は満足感でクラスはいっぱいだった。

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そして後夜祭。軽音楽部の演奏などで盛り上がりを見せる中、最後にいよいよ発表の瞬間。カウントダウン方式で出し物の名前が呼ばれる中トップ3まで自分たちが呼ばれることはなかった。

「これはいける!」誰もが思っていた瞬間「第2位!」という言葉に誰もが耳を疑った。クラス名が発表される度に拍手や歓声が上がっていたのだが、自分たちが呼ばれた瞬間は静寂に包まれた。誰一人として現実を受け入れることができなかった。

ムードメーカーの一人が壇上に上がり、無理やり盛り上げたことで形だけは盛り上がったが、その後呼ばれた一位のクラスも同様に「演劇」をやっていたところだった。

 

メンバー、演目共に自信にあふれていたため、後夜祭終了後の教室は非常に落胆していた。泣き出すもの、ベランダで放心するもの、様々な感情が渦巻いていたことを覚えている。

 

全力で何かに打ち込んだ結果、望んだものが手に入らないこともある。それを知った瞬間だった。全校2位という結果は誇れるものではあるが、登ろうとした山はいつしかもっと上になっていた。互いにカバーしあい、時には言い合い、時には笑い合った練習の日々が砕かれたような瞬間だった。

 

でも数時間後、「打ち上げ」と題して食事会を開催した時には最高潮に盛り上がりを見せていた。誰もが結果のことを誇りに思い翌朝まで騒ぎをしていたことを記憶している。

 

その後の半年間はあっという間に過ぎ去り、卒業式当日、退場の際にクラッカーを鳴らしながら「ありがとうございました!」と言って退場するパフォーマンスをした我々のクラス。最後まで高校生活を楽しんで終わっていった。

今となってはほとんどのメンバーとは連絡すら取れない状態だが、卒業アルバムを開けばその時の思い出が蘇る。大学、社会人として生活をしてきたが、あの時ほど「仲間」の存在の大きさに助けられた記憶はない。チームとして仕事をしてはいるが、「仲間」とは思えない自分がいる。

 

それほど「仲間」というのは志を共にし、同じ方向を向いて全力を尽くしたものたちにしか与えてはいけない「称号」のようなものに自分の中にはなっている。

 

いつの日か「仲間」とよべる者がいる環境がまたやってくるかどうかはわからない。もちろん「仲間」とよべる人間はいる。しかし、それぞれの生活が今はあって会う機会はほとんどない。SNSで連絡を取り合ったり、年に1〜2回食事会をする程度だ。バラバラの環境でも自分にとってはな「仲間」だと思っている。

 

これからの残された人生でどれだけの「仲間」を作ることができるだろうか。

 

今はまた一匹狼としての日々が続いている。